Record

開催期間 主な戦歴
2008年

・10月1日
対 魔裟斗(日本) 延長判定負け
K-1WORLDMAX2008世界一決定トーナメント 準決勝

MAXの日本人エースに挑みました。
並みの選手なら1R目のヒザのカウンターでKOしていたと思います。
それぐらいまともに入っていました。
しかし、魔裟斗選手はそれでも前に出てきて、
2R目はジャブをうまいタイミングで何回も合わせられ
ポイントを獲られてしまいました。
3R目はもうダウンを獲るかKOするしか勝てないので
倒されてもいいから打ち合いにいきました。
判定負けもKO負けも同じ負けです。
なら勝つために玉砕覚悟でブチ切れモードで。
このモードに入ると僕は強いです。
序盤に打ち合ってパンチをカウンターで当てて、
最後は左フックから右ストレートを当ててダウンを獲りました。
また奇跡が起こったと思いました。
このときニュートラルコーナーで待っているとき
僕は間違いなく感じました。
日本武道館が揺れていたんです。
日本の格闘技ファンが心待ちにしている舞台で
自分がこうやって会場を揺らしているというのはこれまた奇跡だなと。
僕のブチ切れモードはダウンを獲ったあと終わって、
あとは冷静に戦ってしまい判定は延長にもつれ込んでしまいました。
延長は負けたと思ったので、判定を聞くまでもなく
相手コーナーに行って『負けました。』と伝えて帰ってきました。
判定じゃダメだ。
今まで判定でも何でも勝つのがプロだと思っていましたが
それじゃダメだ。
絶対KOで勝つという気持ちで戦わなければツメが甘くなる。
勝負は息の根を止めるつもりでやらないと。
色々なことを学んだ試合でした。
2008年は初の第3位の座に。2009年の雪辱を誓う。
俺はもっと強くなるでしょう。どうもありがとう。

・7月7日
対 ブアカーオ・ポープラムック(タイ) 3RKO勝ち
K-1WORLDMAX2008世界一決定トーナメント ベスト8(日本武道館)

因縁の対決です。
まさか今年二回目の対戦になるとは思ってもいませんでした。
対戦が決まったときマジかよと思いましたが、
なぜか根拠のない自信がありました。
これは4月のディレッキー戦でも感じました。
だからきっと俺ならなんとかなるだろうと思っていたら
本当になんとかなってしまうんだから
人生って素晴らしいですね。
3R1分過ぎの右ヒザが入ってからブアカーオ選手の動きが極端に落ちて
その後の攻撃でダメージが蓄積して最後は右のクロスで倒しました。
しかし、勝負は半分あのヒザで決まっていたのかなと思います。
場内は総立ちであんなに興奮状態になっているのを初めて見ました。
自分の試合でこんな風にみんな感動してくれているなんて!
こんなに良い試合になったのは僕だけの力ではなくて
1Rから果敢に倒しに来たブアカーオ選手のおかげでもあります。
ひょっとしたら僕が倒されていたかもしれないし、
本当にギリギリのところで勝てた奇跡の試合だったと思います。
自分はこの作品(試合)を死ぬまで誇りに思って生きていきます。

・4月9日
対 ムラッド・ディレッキー(トルコ) 判定勝ち
K-1WORLDMAX2008世界トーナメント ベスト16

今年のベスト16の相手は非常に強い相手との対戦になりました。
パンチも強いし、身体能力も非常に強い選手でした。
飛びヒザを食らったのは初めてでした。
展開は序盤から足を狙ってローキックをコツコツと当てて
なんとかペースを掴みました。
ディレッキー選手も途中からローが効いて動きが落ちたので
そのままペースを握って判定で勝ちました。
世間が思うよりもディレッキー選手は強かったです。
今回のトーナメントの初戦でこういった強い選手に勝てたことは大変自信がつきました。

・2月2日
対 ブアカーオ・ポープラムック(タイ) 延長判定負け
2008日本代表決定トーナメント スーパーファイト

コヒ選手の怪我で対戦相手がブアカーオ選手に変わりました。
正直マジかよ。と思いましたけど、
自分の自信を取り戻すためにも良い一戦になりました。
試合は寒さもあると思うのですが、
互角に戦うことができました。
小森会長はもともと『互角に近い力はあるから自信持て』と
言ってくれていましたが、二年前やはりああいった形で倒されているので
トラウマみたいなものはありました。
自分のトラウマとの戦いでもありました。
勝負は延長にもつれ込んで、最後は左フックでパンチを効かせることができたのですが、
序盤、中盤はいいようにパンチで押されてしまいました。
判定は2-1でブアカーオ選手でした。
負けはしましたが、今年はいけるという自信がついた一戦でもあります。

2007年

・10月3日
対 アルバート・クラウス(オランダ) 判定負け
K-1WORLDMAX2007世界トーナメント準々決勝

クラウス選手とは二回目の対戦になりました。
前回のデニス戦で完封したのにも関わらず、
1ポイントしか差がついていないジャッジを見て
K-1という舞台はKOを狙いにいかないと勝てるものも勝てなくなると思い、
1R目から倒しにいきました。
試合は序盤からお互い意地になって殴りあいです。
なんだかやってて楽しかったです。
最終Rにパンチ効かされて負けましたけど
Kー1に来て初めて全力を出し尽くせたかな
まあ負けたけどそんなに後悔はしませんでした。
このままいけば必ず光は掴める。
ベルトも掴める。
(2年連続ベスト8で終わる。)

・6月28日
対 デニス・シュナイドミラー(ドイツ) 判定勝ち
K-1WORLDMAX2007世界トーナメント開幕戦

デニス選手は欧州トーナメントを勝ち抜いてきた強豪です。
僕も日本代表として負けられません。
ここで負けたら今年の僕はここで終わり。
必勝体制で試合に臨みました。
デニス選手はスピードもあり、体も頑丈でした。
しかし、まだ経験が浅く他のトップ選手と比べると一枚落ちるかなと思いました。
試合は終始ローとヒザで攻めてペースを握りました。
3RはKO狙ってガンガン飛びヒザとハイキック出しましたが
KOには至りませんでした。
この日何かが僕の中で変わって、
これからはそういう相手を倒しに行く気迫を出して攻撃しようと思いました。
悪い意味でKOを狙うんではなく、
良い意味でKOを狙っていきたい。
そういう姿勢で試合に臨みたいなと。
ちょっとK1来てから綺麗に戦いすぎた。
魂込めて攻めよまい。
(10月の決勝大会に駒を進める。)

・4月4日
対 アンディ・サワー(オランダ) 判定負け
世界最終選抜セミファイナル

調子も万全でとても良い状態でリングに上がりました。
2007年は色々と精神的に試していて、
サワー戦はその色々な試しが裏目に出ました。
体の調子はよかっただけに、残念でした。
1Rはサワー選手がスロースターターということもあり、
僕のペースで試合を運ぶことができました。
しかし2Rからサワー選手も前に出てきて
少しずつパンチで押されるように。
効いていなくても押されればポイントになります。
今年に入ってからサウスポーも練習していて、
試合で試してみたかったので3Rはサウスポーで戦いましたが、
これは失敗でした。
2Rで若干ポイント取られ気味だったぶん
3Rはオーソドックスでどんどん前に出て
勝負をかけるべきでした。
試合はそのまま判定にもつれ、
随所でパンチを当てた印象が良かったサワー選手の勝利となりました。
次サワー選手とやったら絶対勝ちたいです。

・2月5日
対 TATSUJI(アイアンアックス)1RKO勝ち(2連覇)
K-1WORLDMAX日本代表決定トーナメント決勝

決勝は去年と同じ顔合わせになりました。
試合前TATSUJI選手とはこの先何回も戦うことになるんだろうなあと
勝手にライバル心を出してしまいました。
去年よりもお互い消耗している状態での決勝。
でもTATSUJI選手の方がきつそうでしたね。
僕はダメージの溜まっているローを中心に攻めました。
そして一回戦から積極的に出してきた飛びヒザが出すごとにタイミングが良くなり、
決勝でとうとうどんぴしゃのタイミングで当てることができました。
スパーではなかなか練習できないので、
一回戦から少しずつタイミングを掴んできた結果だと思います。
自分だったら絶対食らいたくないと思うくらいの手応えだったのに、
あそこから立ってきたTATSUJI選手も本当に根性あると思います。
飛びヒザのタイミングはもう完全に合わせることができたので、
立ってきたところにもう一発入って、僕の優勝になりました。
でもあんな綺麗に入る飛びヒザはもう出せないと思うので、
次は期待はしないでください。

・2月5日
対 尾崎圭二(チームドラゴン)判定勝ち
K-1WORLDMAX日本代表決定トーナメント準決勝

テコンドー出身の尾崎選手。
去年の9月に僕の名古屋の知人が尾崎選手の弟子だったことがあり、
僕の昔の先生にこんなに強い選手がいると聞きました。
もちろん僕も尾崎選手の活躍はしっていたので、
『いつか対戦することもあるかもね。』と言ってたら、こんなに早く対戦しちゃいました。
試合展開はというと、尾崎選手がパンチ、飛び技で攻めてくるのに対し、
僕はヒザとローでコツコツ攻めました。
それでたまにハイキックや飛びヒザがチョコチョコ当てることができたので、技のレパートリーも少しずつ増やせそうです。
これまた結果は僕が勝ちましたが、一回戦の白須選手同様、
根性のある良い選手でした。

・2月5日
対 白須康仁(花澤)判定勝ち
K-1WORLDMAX日本代表決定トーナメント準々決勝

木更津出身の白須選手。
木更津は最高の街だと白須選手が言ったので、
名古屋と木更津の勝った方が最高の街ということでどうでしょう?
と前日会見で僕は言いました。
試合は僕がヒザとローで攻めて、
白須選手がそれにパンチを合わせるという展開になりました。
結果は僕が勝ちましたが、白須選手はとても良い選手でした。
これからもっと経験を積めば、世界レベルの選手になるんじゃないかと思いました。
いやいやこんな良い選手がいるんだから木更津も良い街ですね。
引退したらお互いの街で一緒に酒でも飲みたいなと思いました。 

2006年

・9月4日
対 アルバート・クラウス(オランダ)判定負け
世界王者対抗戦 セミファイナル

試合序盤は良い感じでローキックを何発も当てて、ペースを掴みかけたように見えましたが、
2R終盤から手数が減り、相手のパンチに押されるようになりました。
そのまま判定にもつれこみ2-0で判定負け。
何言っても言いわけになるので、勝つまでは何も言いません。
弱いから負けた。以上。

・6月30日
対 ブアカーオ・ポープラムック(タイ)2RKO負け
K-1WORLDMAX世界トーナメント準々決勝

僕がMAXの舞台で一番強いと思える男と、お互いノーダメージの状態で戦うことになりました。
これは僕にとっても願ったり叶ったりでした。
やはり強い奴と戦うのはワクワクするからです。
試合は序盤は良いペースで蹴りを打っていくことができたのですが、
中盤に僕の左アッパーが入ってからは、パンチの交錯が多くなりました。
今にして思えば一体何を考えているんだという感じです。
そしてパンチ力、タイミング、スピードに勝る相手に鼻を折られました。
その後ワンツーを交わされ、カウンターでワンツーを入れられ、ダウンを取られます。
その後のことはよく覚えていませんが、ここは勝負を賭けて前に出なければ倒されると本能的に思ったので、パンチの打ち合いに出ました。
あそこで行かずに負けたら一生後悔して生きていくことになったでしょう。
僕のパンチは当たらなかったけど・・・
2R目は意識朦朧としていて、なんだかよくわからないまま倒されました。
一応ダウン後に立ちましたが、レフリーストップでした。
続けたかったけどレフリーの判断なのでしょうがないです。
前蹴りをつかまれるのだってムエタイではよくある技で、つかみの対処法だって、しっかりと教えられています。
それを僕は前蹴りつかまれて、そのままパンチを合わせにいこうとしていました。
そんな技、キックをやり始めて誰からも習っていない。
後日ためしに掴みからのパンチをやってみて、相手に僕と同じ動きをしてもらったら、
めちゃくちゃ良いタイミングでカウンターパンチ食らわせれました。
まあやられるべくして、やられた。そんな感じです。
僕の06年の夢は散ったけど、また這い上がって強くなって帰ってくるから、
結果を出してそのときになったら、また再戦して欲しい
と試合翌日ホテルでブアカーオとプラムック会長に話しました。
この悔しさは死ぬまで忘れない。

・4月5日
対 マイク・ザンビディス(ギリシャ)判定勝ち、ベスト8に。(世界王者決定トーナメントに進出)

K-1WORLDMAX世界トーナメント一回戦

ザンビディス選手は鉄拳の異名を誇るハードパンチャー。
試合は序盤から僕のローキックとヒザが有効に当たり、ペースをにぎります。
こんなに当たって良いの?って自分で思うくらい出す攻撃が当たります。
しかし、そこは相手も百戦錬磨でした。
ラウンド終盤に強烈な左フックを食らって、効かされました。
それでもなんとか持ちこたえて2R以降もペースを崩さず、
ローとヒザで相手の攻撃を封じ込めて判定勝ちでした。
試合後会長からはパンチをもらい過ぎだとこっぴどく怒られました。
そんなんじゃトーナメントは優勝できない!と。

・2月4日
対 TATSUJI(アイアンアックス)判定勝ち、日本王者に。
K-1WORLDMAX日本代表決定トーナメント決勝

ワンデイトーナメントは初めての経験だったので
一日3試合なんてどうなることやらと思いましたが
意外にスタミナや身体的には消耗せずに勝ち上がってこれました。
これも猛練習の賜物でしょう。
決勝は1R目は若干パンチで下げられる場面があり、
小森会長の指示で2Rに入ってこちらもパンチで応戦する作戦に変えました。
これで展開ががらっと変わり僕のペースになってきました。
ヒザは相当効いている様子で、ヒザが当たるたびに「うっ」という呻き声がしたので
倒せる!と思ったのですが、やはり相手も根性があり、なかなか倒れてくれませんでした。
3Rはまた少し作戦変えてローキックとヒザで攻める戦法に変えました。
結果僕の判定勝ちで、初めてのトーナメントで優勝することができて、とりあえずホッとしています。
でもまだその先にあるトーナメント制覇が僕の目標です。
ここで満足していては何も始まらない。
もっと上を目指して一心不乱に頑張ります!!

・2月4日
対 上山龍紀(TEAMKings)1RTKO勝ち
K-1WORLDMAX日本代表決定トーナメント準決勝

初めての総合格闘家との対戦でした。
でも総合で勝負したら僕が負けるに決まっていますが
立ち技で勝負したら僕は負けるわけにはいきません。
サウスポーで構える相手の攻撃をしっかり見て、
奥足と内股へのローキックで相手の右ヒザの靭帯を損傷させて1R終了時にTKO勝ちとなりました。
TKO勝ちはKO賞もらえないので、残念でした。

・2月4日
対 新田明臣(バンゲリングベイ)判定勝ち
K-1WORLDMAX日本代表決定トーナメント 1回戦

新田さんとは一緒に練習したこともあってプライベートでは親しくさせてもらっています。
でも僕らはプロなので、試合になればお互い何の関係もなく殴り合えました。
試合が始まる前リング中央でルール説明を受けているときに
新田さんの気合が凄かったので、気合負けしないように
コーナーに戻る途中で「ぶっ殺してやる」と自分に気合を入れました。
試合はお互い前に出る戦いを貫いて、試合中とても楽しかったです。
3R入るときはお互い笑みを浮かべてゴングを待ちました。
僕はオランダで一緒に新田さんとアムステルダムの町を歩いたことを試合中に思い出しながら戦いました。
試合後に聞いたら新田さんは僕と試合をしている夢じゃなくて、
一緒に遊んでいる夢をよく見たみたいです。
なんだか試合を通じて、僕は一段と仲が良くなったような気がしました。
新田さんがどう思ったかはわかりませんが(笑)
日本人相手に試合中に楽しくなったのは初めてでした。

2005年

・10月12日
対 ガオグライ・ゲンノラシン(タイ)判定勝ち
K-1WORLDMAX 世界王者対抗戦 セミファイナル(代々木第一体育館)

前回の敗北により、自分の情けなさを痛感しました。
今回負ければ全て終わりだ・・・そんな気持ちで敗北からすぐさま練習を再開しました。
K-1では自分が得意としていた首相撲、ヒジがありません。
そして今までその技術で勝ってきたという感じだったので、とにかく自分の身体能力をもう一段階高めて
首相撲、ヒジに頼らなくても圧倒的に勝てるように仕上げる計画をしていました。
結果必死さというものは人間変えるもので、僕の体つきは体重が変わることなくみるみる変わっていきました。
内容物、筋肉密度がよくなってきたのでしょう。
そして試合はK-1ヘビー級で大活躍しているガオグライ選手が対戦相手に決まりました。
自分の存在価値を取り戻すためには絶好の相手です。
試合はガオグライ選手の減量苦もあったとは思うのですが、
課題であった終始前に出続けるという本来のスタイルが取り戻せて、見事勝利をもぎとることができました。
2005年になってスランプ気味でしたが、ようやく脱出することができました。
色々賛否両論があるとは思いますが現時点での自分の精一杯の力を出すことができて
今年初めて満足できる試合ができました。
しかし、まだまだ僕は発展途上ですし、もっともっと強くなると確信しています。
次戦からはもっと圧倒的な強さが対戦相手をねじ伏せたいと思っています。
理想は二度と僕と戦いたいと思わせないような勝ち方をすることです。
ようやく雨は止んだ。あとは晴れるばかり・・・ 

・7月20日
対 ヴァージル・カラコダ(南アフリカ) 判定負け
K-1 WORLDMAX 決勝トーナメント スーパーファイト(横浜アリーナ)

カラコダ選手は5月のトーナメント初戦でクラウスに敗れた選手です。
ボクサー出身で強烈なパンチを武器にアグレッシブに攻めてくるファイターです。
ボクサー出身ということなのでセオリー通りにヒザとローで攻めていくという作戦でしたが、
相手はローやヒザに対する耐性が高く、なかなか倒れてくれませんでした。
K-1においてのボクサーの中では破格の強さを持った選手だと思います。
気持ちも強く素晴らしい選手だと認識しました。
僕はといえば情けない話で、3Rの途中で自分が勝っていると勝手に思い込んで
試合を流してしまいました。
ですが、僕がこの試合で出場しているのはキックボクシングではなくK-1です。
K-1参戦のとき、あれだけ判定基準を頭に叩き込んでおいたはずなのに
この試合ではキックボクシングのリングにいるときのような判定基準で臨んでしまいました。
結果はやはり見栄えの良いパンチを何度か僕の顔面に叩き込んだカラコダ選手の勝利となりました。
この試合の敗北は今までで(2005年12月現在)一番悔しい敗北でした。
そして何より自分が許せませんでした。
だから控え室や閉会式でカラコダ選手が挨拶しにきたときは笑顔で挨拶できましたよ。
カラコダ選手は強かった。そして自分が情けなかった。
別に対戦相手憎んだってしょうがないですから。
でもようやく目が覚めた・・・そんな気がしたんです。

・5月4日
対 ウィリアム・ディンダー(オランダ)判定勝ち
K-1WORLDMAX スーパーファイト全日本を退団してから初の試合となりました。
K-1からのオファーにGOを出してくれた全日本に深く感謝しています。
対戦相手のディンダーはオランダで一緒の大会に出たことのある、オランダの中堅の選手です。
試合展開は1R開始早々パンチで攻めてくるディンダーでしたが、パンチは完全に見切っていたので、僕がパンチを食らうことはありませんでした。
逆に僕はそのパンチにあわせて、奥足へのローとヒザでカウンターを合わせ着実にダメージを与えていきます。
2Rも時折ディンダーはパンチのラッシュで前に出ますが、足へのダメージが相当溜まってきているようで、うまく打てません。
僕としては2R中に倒したかったというのが本音です。
3Rは前蹴りの連打で会場が沸いてくれて、とても嬉しかったです。
出場選手の中僕一人だけキック会場になっていたのは嬉しかったですよ。
オイオイ言われると僕も乗ってくるんでこれからも皆で言ってください。
このラウンドは前蹴り、ヒザ、ローでダウン寸前まで追い詰めるのですが倒しきることができず、すいませんでした。
ディンダーの精神力も強かったと思うのですが、僕自身もっと納得のいく試合がしたかったです。
採点は3者ともに30-27でしたが、僕の採点は100点満点中10点ですね。
遅い、弱い、切れがない。の3拍子そろいました。
もっともっと精進して、みなさんの心が震えるような試合をします。
こんなところで満足はしてられないよ。俺はトップを獲りに来たんだ。 

・4月21日
K-1MAXへの参戦を発表

・2月7日
フリー宣言。所属はフルキャストに。

・2月6日
対 山本優弥(BOOCH BEAT)判定勝ち
全日本キック「MOVING」メインイベント(後楽園ホール)

対戦相手が海外強豪から清水選手そして山本選手と再三変更になりました。
試合はヒザで1Rに2回、2Rに2回、3Rに1回、4Rに1回ダウンを獲り計6回ダウンを奪って
判定ジャッジ3者とも50-39での判定勝ちでした(5R)。
山本選手の気持ちも感じましたが、倒せなかった自分の甘さに辟易としました。
色々な雑音も絡まりました。でも自分がこの程度のことで試合に影響するような心の弱さだったとは・・・。
会場は燃え燃えでしたが、僕の心は終了のゴングを聞いても冷え切ったままでした。
今回は2,3年前の倒せそうで倒せない自分に逆戻りの試合でした。もっと精進します。
そして優弥、何年か後にまたリング上で会おう。

2004年

・11月27日
対 イッティポーン・アカスリボーン(イタリア)4RKO勝ち(同タイトル初防衛)
イタリア・WPKC世界ムエタイSウェルター級タイトルマッチ

これで通算3度目のイタリア遠征となります。
対戦相手は以前にも拳を交えて2RKO勝ちしているイッティポン。
しかし、前回勝っているとはいえ、今回はヨーデーチャー、カーウポンレックといったムエタイ強豪をコーチに招きいれ、引退覚悟の必勝態勢で僕へのリベンジに挑みます。
僕も今年2月に苦労して獲ったベルトをみすみす渡すわけにはいきません。
試合は1Rから僕の奥足へのローキックとパンチなどを有効に着実にダメージを与えていきます。
下手したら、それこそ1Rで沈んでしまうではないかと思うくらいのダメージを与えていました。
2Rに入り僕にスリップ際に蹴りを入れてきたり、倒れ際にヒザを落とし、コブラクローまでかましてきました。
しかし、僕はこんなことでハートは折れません。
2Rもロー、パンチでダメージを与え続けます。パンチは右ストレート、右アッパーなどが有効でした。
しかし、イッティポン倒れず。
3Rも同じように、このラウンドはローよりもパンチを主体に倒しにかかりました。
ダメージも相当なもので首相撲からでも3回ほどこかせることに成功し、必勝ムードが漂ってきています。
しかし・・・イッティポン意地でも倒れず、気迫だけで立っているような状態です。漢です。
4Rに入り、展開が変わります。イッティポンも最後の力を振り絞り攻撃をふるってきます。
その中の一発のヒジが僕にヒットし、バランスを崩すと一気にイッティポンがリズムを掴み、
そのままヒジ、ヒザで僕を追い込みました。
一方的な展開になりそうな所で、「また強い相手と巡りあえた!来るなら来い!」と自分を奮い立たせ
イッティポンに微笑みかけ、僕もヒジで勝負を賭けます。
お互いヒジと意地がぶつかり合い、その中の一発がカウンターでモロに入り、イッティポンは後方へ飛んでいくようにダウン!
絶対立てないかに見えましたが、ここも意地で立ち上がってきます。僕もイッティポンの意地に敬意を表して意地で倒しにいきました。
その後ヒジ2連発がアゴに入り2度目のダウン!しかし、このダウンもイッティポンはロッキーや矢吹ジョーのように立ち上がってきます。
立ち上がったといっても戦士としての本能で立っているだけの状態だったので、その後僕のヒジのラッシュに3度目のダウンをし、激戦に終止符が打たれ、初防衛に成功しました。
今回はイッティポンの気持ちの強さ、覚悟が、このような好試合になったんだと思います。
イッティポンありがとう。選手生活お疲れ様でした。

・9月25日
対 ディーゼルレック・ルンルアンヨン(タイ) 1RKO勝ち
ルンピニースタジアム

今年で2回目のルンピニースタジアム出陣となりました。
対戦相手は二転三転した結果ルンピニースタジアムSライト級10位の選手になりました。
今回は絶対前回4月の試合のときのようなミスは起こさないことを頭に入れて試合に臨みました。
慌てない、ムキにならない、熱くならない。
試合は自分のテーマ通りに進みました。序盤から奥足へのローキックが何発も入って、効いているのがすぐにわかりました。
手応えもものすごく感じて絶対効いているというのが確信できました。
そして1分過ぎに奥足のロー2発で相手は沈み、後から聞いた話だと骨も折れて足が2倍くらいに腫れ上がっていたとか・・・
仮にもルンピニーのランカー相手にここまで完璧に戦えて自分としては合格点を上げたいと思います。
これで後日晴れて泰国ルンピニースタジアムウェルター級6位にランクインされ、高校の時からのひとつの目標を達成して嬉しかったです。

・7月24日
対 ピーター・クルーク(イギリス)3RKO勝ち
世界VS日本 5VS5 大将戦

一年振りの日本での試合、この試合で負けたら一年間海外で何やってたんだ!って話になるので気合いが入りまくりでした。
相手は過去に新田明臣選手、小比類巻貴之選手を破っているイギリスの強豪です。
入場時に僕への声援が今まで一番大きくて自分が海外でやってきたこと、見てきたこと、信じてきたことが認められているんだなあと感じて
とても嬉しかったです。声援をくれた多くの方々、ありがとうございました。
試合は1Rからピーターを圧倒し続けていました。ローを主体にヒザ、パンチも織り交ぜ徐々にピーターの為す術を一つずつ消していきます。
2Rに入って露骨にローを嫌がるピーター。ローに意識がいっているところをカウンターの右ヒザがまともに入ってピーターの動きがガクンと落ちます。ローで右足も左足も自由が効かなくなっていました。
3Rは僕も勝負を賭けて仕留めにかかりました。首相撲の展開でもこかせるようになってきました。その内の一回こかした後に僕がニヤリとピーターに笑いかけてジ・エンドです(笑)
何者なんだこいつ!?っていう顔をして、ローの連打で心をへし折って僕のKO勝ちでした。
完全勝利といっていいですよね?
さあ次回はルンピニーで雪辱戦です。今ハッスルしなきゃいつハッスルするんだよ!!という心境です。

・4月17日
WPMF世界ムエタイスーパーウェルター級王座決定戦 4RTKO負け
ルンピニースタジアム
  1R、ミドル、ロー、テンカオを有効に入れて、チャンプアックのパンチも完全に見切って、パンチを交わして、右ストレート、前蹴りなどで翻弄しました。
その中の一発がまともに入って、その後のラッシュでチャンプアックは完全にグロッキー。
2R、勝負を焦ったか、強引に攻めすぎ、チャンプアックの反撃を浴びる。首相撲からのヒジで右目下をカット。さらにヒジの連打で、ダウン!!
なんとか立ち上がり、パンチの壮絶な打ち合いがラウンド終了まで続く。場内大狂乱。チャンプアックコールとSATOコールが入り乱れる。
3R、再度逆転を狙い反撃に転じるが、スタミナの切れたチャンプアックはうまく前蹴りなどで、攻撃をかわす。
またもヒジで今度は右目のまぶたを大きくカット。ドクターチェック後、再開。大流血戦に。
4R、両者スタミナ的に苦しいが、前に出つづけたのは僕で、逆転だけを信じて攻撃を出し続けましたが、流血が激しく2度目のドクターチェックで試合がストップ。
世界3冠になることはできませんでしたが、最後まで諦めずに勇気ある戦いをできたので、僕のハートはみなさんに伝わったと思います。負けちゃしょうがないんですけどね。。

・2月28日
対 ヤッシーン・ベンファッジ(フランス/同級4位) 判定勝ち
WPKC世界ムエタイスーパーウェルター級王座決定戦
  ヤッシーンは日本ではまったくの無名ですが、これまでデニー・ビル、ファディ・メルザ、ムスタファ・デデら強豪を撃破している強敵です。
試合は1R序盤はローでペースを掴んだかに見えたのですが、終盤にパンチをまとめて食らって左フックでまさかのダウンをしてしまいました。
ダウンはしましたが、頭は冷静でした。これから何をすべきか、どう攻めるべきか会長と目で会話しました。
でも足にきていましたね。まじ効いた(笑)
2Rに入ってパンチにローを合わせる作戦をとり、それが功を奏してヤッシーンはだいぶ足にダメージが溜まってきました。僕のボディーブローも効果的に当たり始めました。
3、4Rはヤッシーンが首相撲で攻めてきました。パンチが効いていたので数回こかされました。もちろんヤッシーンの首相撲のうまさ、強さも本物だったからというのもあります。ときおり、強烈なパンチでロープ際まで飛ばされることもありました。
5Rはこのままいったら負けは濃厚なので、倒されてもいいから一か八かパンチで勝負を賭けることにしたんです。だってオレはベルトを獲りにイタリアに来たんだから・・・。絶対最後の最後まで勝つことだけを信じて戦いました。
パンチの連打で2分30秒過ぎに一回目のダウンを奪い、そこからヤッシーンも猛反撃に出て、またパンチを食らって僕はダウン寸前まで追い込まれましたが、パンチの打ち合いでラスト10秒に左フックで2回目のダウンを奪い、カウント9でヤッシーンがなんとか立ち上がったところでゴングでした。
倒れておけばいいのによ・・・。
判定は48-47でまさに最後の最後に大逆転でした。日本人初ですよね?2階級で2冠ってのは。
そして今回の試合でわかったこと・・・1)まだまだ世界は広い。2)あきらめないってやっぱり良いことだ。

2003年

・12月6日
対 シェイン・チャップマン(ニュージーランド)2RTKO勝ち
スーパーリーグ73kg契約
対戦相手は日本ではとても名のしれたシェイン・チャップマンです。
しかも今回の契約体重は前回の67kgから6kgも重い73kgで戦うことになりました。 今まで対戦した日本人とのビデオをみた限りでは、そこまで脅威ではないなと思いましたが、73kgの圧力だけが、不安要素でした。
しかし、試合は1Rから僕がローを効果的に当てて、1R後半にははやくもローが効いてきた様子で、 2Rには首相撲の展開でもチャップマンを数度転ばせるなど圧倒的な展開になってきました。 2R後半にはローで何度も腰が崩れてダウン寸前まで追い詰めたところでゴング。 3Rは勝負をかけて倒しにいこうと思っていたら、僕のローによる脛の負傷と左腿のダメージが深刻でチャップマンの戦意を喪失させ2R終了時のTKO勝ちとなりました。
正直ここまで圧倒的に勝てるとは思っていなかったので、自分でも自分の強さに驚いています。
スーパーリーグ日本人初勝利をもたらすことができて良かったです。 

・8月17日
対 ガオラン・カウイチット(タイ)判定勝ち WKA世界ムエタイウェルター級タイトルマッチ
初防衛の相手がまさかあのガオランになるとは思ってもみませんでした。
でもこの試合に勝てば誰もが認める世界チャンピオンになれると思ったので勇気をもって挑みました。まあ僕がチャンピオンなんですけどね・・・
試合のほうはさすがに首相撲がうまくて何回か転がされました。ここらへんはすごいと思いました。 しかし1R目からけっこうローを効かせる事ができました。左の縦ヒジで眉のあたりを少し切りました。 2Rにまた左の縦ヒジで額をばっくり切って、これで終わったかと思いましたが、続行でガオランも勝負を賭けてきました。
4R、5Rは僕がパンチで勝負を賭けてガオランもそれに応じます。戦っててガオランの熱い気持ちも伝わったし、僕の気持ちもガオランに伝わったと思います。
まあ試合内容はあんまりよく覚えてないです。
僕もけっこうパンチもらったみたいですね(笑)もらっていないつもりだったけど・・・
判定は誰がどうみても僕の勝ちです。この瞬間本物の正真正銘の世界チャンピオンになれました。
この試合でダメだという人がいるなら、その人はキックボクシングを観に来ているのかなと思います。
素晴らしい試合ができた自分を誇りに思います。
そしてその試合に勝てた自分を誇りに思います。 

・6月20日
対 クリス・ヴァン・ベンローイ(オランダ)判定勝ち
対戦相手はアンディ・サワー、モハメド・オワリ、ジェラルド・ママデウスに勝っているオランダの強豪で
ビデオで見る限り相当強かったので気をひきしめて試合に臨みました。
パンチも蹴りも非常に重く、まともにもらったらヤバイなという威力はありましたが、
パンチも蹴りも何を打ってくるのか何故か最近わかるので、
ほとんどもらわずに僕だけがパンチ、ヒザ、ローキックを有効的に使って5Rには戦意喪失でダウンを奪って問題なく判定勝ちしました。
でも万人には受け入れられない試合内容だったことは否めません。 

・4月12日
対 イッティポン・アカスリボーン(タイ)2RKO勝 イタリア・パトヴァ
相手はイタリアでは無敵のWPKC世界ムエタイウェルター級王者です。
かなりの強敵でしたが、前回の試合で負けてから一段と強くなり、
今回は精神的にもとても良い状態で臨む事が出来たので、良い動きができました。
最後は右クロスから左フックでダウンをとり、1度は立ちあがりましたが、
カウント8でふたたび倒れ、KO勝ちになりました。
そのあと10分以上はびくともしてなかったです。
パトヴァでこの試合は生中継されていたので、次の日街で声かけられました。

2002年

・11月23日
対 フィクリ・ティアルティー(オランダ) 判定負け オランダ・アムステルダム
WPKL世界ムエタイウェルター級タイトルマッチ
フィクリは日本でこそあまり知られていませんが、
オランダの英雄になっている選手です。
日本のK-1で活躍しているホーストやアーツよりも人気があるそうです。
この試合は3Rにヒジで効かされ、鼻骨を骨折してポイントを取られあとのRは互角の展開だったのですが3Rの失点が響いて判定負けしました。惜しくも2冠ならず。
まあ純粋に僕よりも奴の方が強かったからこの結果になったんだと思います。
それでも最後まで勝つ事をあきらめずに戦いつづけることができたので日本へは胸を張って帰ってきました。

・10月21日
対 清水貴彦(超越塾) 判定勝ち
この当時はK-1出場権をかけた試合のはずでしたが勝った僕は出ずに負けた清水選手がでることになりました。
試合はあまり面白い展開にはならずに全Rを通じてヒザで優位に立ち完璧な判定勝利でした。
でも試合は面白くなかった。

・7月21日
対 江口真吾(作真会館) 2RTKO勝ち
この試合は本当は防衛戦の予定でしたが、相手の負傷により急遽代打で江口選手との対戦が決まりました。
試合は2Rに左のひじでこめかみを大きくカットしドクターストップがかかりTKO勝ちです。
骨膜までいっていたそうです。

・4月12日
対 チャルムサック・イングラムジム(タイ) 判定勝ち
今のところ人生で一番強かった相手です。
タイのラジャダムナンスタジアム1位にランキングする選手で彼のミドルキックは骨が折れるかと思いました。 
この試合に向けてすさまじい猛練習をつんで頑張ってきました。
2Rにパンチでグロッキー状態にさせて、後もパンチとローを有効的に使って
見事勝利を収める事ができました。
この試合は大方の人が負けると予想していたことでしょう。

・2月15日
対 金沢久幸(TEAM-1) 判定勝ち
相手は全日本キックのエース格でしたが、まったく歯ごたえのない相手でした。
終始守り一辺倒で倒すことはできませんでしたが、5Rの間すべて僕がヒザで主導権をにぎって大差の判定勝ちでした。

2001年

・11月17日
対 ミラン・ステビッチ(ユーゴスラビア) ドイツ・フランクフルト 4RKO勝
WKA世界ムエタイウェルター級王座決定戦
初の海外遠征で時差ぼけがひどく試合が始まる1秒前まで眠くて、かなりしんどかったです。
試合はヒザとローキックで攻め続け4Rに顔面ヒザを入れたところで相手が戦意を喪失してタオルが投入され念願のチャンピオンベルトを巻くことができました。

・8月10日
対 ノエル・ソアレス(オランダ) 3RKO勝ち
このノエル・ソアレスは当時オランダで一番強いと言われてた人です。
当時ウェルター級チャンピオンだった人をKOして、魔裟斗とも戦い、敗れはしましたが眼窩底骨折に追いこんだハードパンチャーです。
この試合はとても熱い試合になりました。
ソアレスが僕をぶんなぐり、僕がヒザで腹をえぐるという展開がつづき最後は僕がひざでKOしましたが、この試合は1Rの途中から全く記憶がありません。
ソアレスとは今では仲良しです。

・6月17日
対 千葉友浩(TEAM-1) 1RKO勝ち
この試合から戦いの舞台をNJKF(ニュージャパンキックボクシング連盟)から全日本キックボクシング連盟に移籍しました。
相手は当時のウェルター級1位の選手でしたが、タイ人との対戦を経た僕の敵ではありませんでした。
左フックと左ヒザ、右ヒザでそれぞれダウンを奪いKO勝ちしました。
全日本ウェルター級1位にランキング入り

・6月
全日本キックボクシングに移籍

・3月20日
対 コンテ-ジ・シッセン(タイ) 5RKO勝ち 名古屋市公会堂
前回の試合で自信を取り戻して、いどんだこの試合は
かなりの強敵で4Rまで劣勢を強いられていました。
しかし5Rに勝負をかけ逆転KO勝ちを収めました。
この瞬間は名古屋市公会堂のヒーローになっていました。

・2月12日
対 チョ-ンアンタイ・ギャッチャ-シン(タイ) 判定勝ち 名古屋市公会堂
前の敗戦でこのまま引き下がったらただの負け犬になると思ったので、タイ人との試合を希望しました。
パンチとローで攻め続けスタミナ的に厳しい試合でしたが最後までハートは折れることなく戦い判定勝ちすることができました。

2000年

・11月26日
対 タノムサック・デーラッド(タイ) 1RKO負け
初の対タイ人戦になりました。
相手の圧力になにもできず、パンチで3回のダウンを奪われKO負けしました。
それにこの試合は相手の圧力にびびっていた自分がいました。
もし、あと1回でもこの試合みたいなハートの弱い試合をしたら即刻引退すると決めています。このときの屈辱は一生忘れません。

・9月24日
対 中村篤史(北流会君津) 4RKO勝ち
この試合は凄惨な試合になりました。
1Rに僕がヒジでダウンをとり、2Rに僕がヒジでこめかみをカットされ、
顔面ヒザを入れられ2回のダウンを奪われます。
3Rには僕がヒジで相手の頭をカットし、一進一退の攻防がつづき
4Rにまたヒジで相手の頭を大きくカットし、
ヒザで3回のダウンを奪って大逆転KO勝ちをしました。
この試合4Rのドクターチェックのときに友達や観客の声援がものすごく勇気を与えてくれて
最後は神がかり的な動きをみせました。今でも思いでに残っています。
僕も泣いていましたけど、友達も泣いていました(笑)

NJKFウェルター級4位にランクイン

・7月7日
対 広川康之(小国) 5RKO勝ち
この試合から5回戦に昇格してやっと自分のリングテーマをかけて入場することができます。
相手は当時5戦5勝で僕と同じ戦績で、ホープ対決でちょっとだけ期待されていました。
下馬評は完全に向こうが勝つだろうと予想されていました。
それが結構むかついてて絶対見返してやろうと気合はばっちりでした。
4Rにヒザで2回ダウンとって5Rはじまってすぐにまたダウンとって
相手サイドからタオルが投げ込まれて試合終了です。

NJKFウェルター級6位にランキング入り

・4月9日
対 發田隆治(横浜征徳会) 判定勝ち 横浜クラブへブン
この試合からウェルター級(66.67Kg)にあげました。
しかし、相手はもともとミドル級(72KG)の選手で68Kg契約での対戦になりました。
61Kgからいきなり68Kgでやるのはものすごく不安でした。
しかも試合が決まったのは試合の1週間と5日前。
しかし、蓋をあけてみれば意外に良い動きができて圧勝することができました。
この試合はミドルキックとローキックが有効的でした。 

・1月29日
対 森本達也(日進会館) 判定勝ち
この試合までライト級(61.23Kg)でやっていたのですが、
この試合は減量苦でまったく体がうごかなくて完全にスタミナ切れを起こしてしまいました。
相手はそんなに強くもなくヒザをがんがんいれていたのですが詰めきれずに
判定までいってしまいました。 

・1月
99年度新人王獲得

1999年

・8月29日
対 加藤丈典(闘真) 1RKO勝ち 安城市総合体育館
この前の試合で猛反省して、この時点では一番気合を入れて練習しました。
そしてようやく結果が出たので嬉しかったです。試合開始からがんがん攻めて
顔面ひざとボディへのヒザで完全KOです。
1999年度新人王受賞

・6月4日
対 大川真人(大和) 判定勝ち
デビュー戦でつらい思いをしたせいか、消極的な試合になりました。
この試合もひざを有効的に当てて僅差の判定勝ち。思ったような動きができず、
自分が情けなかったです。俺の力はこんなもんじゃねえぞって。

1998年

・3月
プロテスト合格

・12月25日
プロデビュー 対 宮本勲(大和) 判定勝ち
30秒くらいでKOしてやると完全にプロの世界をなめていて本当に僅差の判定勝ちでした。僕がひざをうち、相手がパンチを打ち一進一退の好勝負になりました。

1997年

高校2年の12月にグローブ空手オープン選手権で優勝。
最優秀選手賞受賞。16歳で優勝は最年少記録。
翌年にも同大会に優勝し2連覇。

1994年

中学2年のときにキックを始める